「発病の頃」



 十年程前、突然の腰痛にコルセットを常用していた時があった。くしゃみをすると腹筋が「つった」のもこの頃だったが、すでに初期の症状が出ていたのだろうか?医学的な根拠はわからないが、時期としては関連があるように思える。


 急に、本当に急に腹部が膨満しはじめた時期があった、三ヶ月程で、それまではいていたスラックスがはけなくなった。

 平成元年の春の健康診断での体力測定で、あまりの体力低下にショックを受けた。握力・肺活量は以前から低かったので、気にはならなかったが、垂直跳びと反復横跳びには愕然とした。データは覚えていないが、「アレッ!」だった。体がこわばり自由に動かず、力も入らなかった。しばらく考え込んでしまうほどだった。

「どうしたんだろう」

 なにかの病気とは思わなかったが、単なる運動不足では受け止められない、漠然とした焦燥感があった。

 この頃、診察は受けていなかったが、明らかに発病・発症していたことは間違いない。


 運動不足解消のつもりでジョギングを始める。腰痛がひどくなり、ハリ治療を始め、整形外科に通院。日常生活にはまだ支障はなかったが、悩みの種ではあった。走ることができないということに気付いたのはこの頃だった。
「これはただごとではない」

 と、思ったものの解釈のしようがなく、ただ焦るだけだった。


 平成元年十一月、通院先の診察で「CPK」の異常値を指摘され、大学病院での診察を勧められる。

 大学病院で受診、筋電図・血液検査などで「多発性筋炎の疑い」との診断。

「CPK」は筋肉が破壊されるとき発生する酵素で、通常一〇〇前後とのこと。私の場合一二〇〇と高数値であった。

 かなりの勢いで破壊がすすんだと思われる。


 筋肉が衰えるにしたがって、小刻みな痙攣が随所に起きた。何でもない所で、よくつまずいた。自転車で、今まで登れた坂が登れなくなった。ALSという病気の存在をまだ知らなかったが、はがゆさ、苛立たしさは募った。それほど深刻にはなっていなかったと思うが、この痙攣には神経質になった。これがくせものだった。筋肉麻痺の前兆であり、兆候でもあった。この痙攣がおさまると、筋肉は私の意思の届かぬ所に旅立ってしまった。


 平成元年十二月、大学病院「神経内科」に入院。「筋生検」実施、「炎症所見なし」との診断。入院によって会社を休むことのほうがショックであり、かなり動揺もした。本末転倒だが、当時としてはやむを得なかったのだ。

 以上が、最初の入院までのおおまかな経緯である。

「私の場合」なかなか確定診断くだされなかった。その理由のひとつに「CPK」値の上昇があげられる。

 一般に、「ALS」は「CPK」が上がらないというが、私の場合高数値であった。「筋生検」では炎症はみられず、筋電図は「神経原性(神経の源からの病気)」をしめしていた。

 当初は「多発性筋炎の疑い」であったが、「KW」、「KAS」、と二転三転した。

 後に、当時のカルテをみる機会があったが、それには「神経難病」とあり、告知問題にもふれている記述があった。本人の気持ちは裏腹に、状況はかなり深刻なようであった。


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