『ALS、その後』
2007/11/07
平成6年10月、私は、病室で洗礼を受けた。 気管切開直前の事である。 人は、精神的に強烈なダメージを受けると、 日常の精神生活では対応できなくなるようだ。 精神の抗体免疫機能が低下するのであろうか。 気管切開を前にして、複雑な苦悩と不安に、 気持ちが停滞し、たちゆかなくなったのである。 賛美歌の流れる中、嗚咽混じりの涙が、限りなく流れた。 あの涙は何の涙であっただろうか。 薄れいく記憶の中で、 あれ程の痛烈な出来事さえも風化して色あせてしまう。 「時」とはありがたいものである。 その後の13年は、声のない世界の私の軌跡でもあり、 私のクリスチャンとしての葛藤の軌跡でもある。 所詮、宗教とは観念上のものであり、具体性には著しく欠く。 何事も、物理的に成就することは決してない。 信仰する事は、鎮魂の域を出ない事を認識すべきである。 さもなければ矛盾に背を向けるべきだ。 ALSという極度の難病には、宗教といえども、 対応できかねるのであろう。 病状はにわかに、進行しつつある。 西洋の風土で育成されたキリスト教は、私には馴染まないようである。 それでも尚、祈らざるを得ない。 声ない生活は、「その後の13年」で克服したかのように思える。 勿論、安易な道ではなかった。 喜怒哀楽は、声がなくても意思表示は可能だ。 喧嘩相手に文字盤を依頼しながら喧嘩するという、滑稽さと矛盾を伴って。 「その後の13年」は、ヘルパーさんとの葛藤の日々でもある。 ヘルパーの確保と指導、現状維持のための様々な活性化のための試み。 肉体は100%ヘルパーさんに依存しながら、自由意思の独立性を確保しようとする、 矛盾との戦いはALSが存在する限り続きそうである。 苦労と苦悩は絶えることがない。 「その後の13年」を月並みだが、よく頑張ってきたと思う。 そして十分生きたとも思う。 私の心身はそろそろ金属疲労のピークにさしかかっているとも思うのである。 「死にたくはない」から「死んでも構わない」や「死にたい」までを、 彷徨い、逡巡している、マイナス思考の今日この頃である。 「よし、頑張るぞ」という心境も、心細く、頼りなげではあるが顔を出すことはある。 植物は、水分や栄養分を余分に与えすぎると、根腐れを起こして枯れてしまうという。 多少、枯渇した状態のほうが成長も早く、鮮やかな花を咲かせるらしい。 皮肉めいた状況だが、これが「生」のダイナミズムというものか。 私はALSによって、心身共に枯渇した状態だが、 一向に成長もしないし、花を咲かせる気配もない。 もしかすると私の場合、「死」がその花にあたいするのではないだろうか。 そう思ったら、何故か、苦笑いが出るのである。 |