2006/03/01



平成六年十月の下旬に気管切開のために入院し、

翌月の八日の月曜日に気管切開の手術をした。

手術までの十日余りは、寝た記憶がない程の不眠状態であった。



複雑な苦悩や逡巡はもとより、異常な精神状態であったのであろうと思われる。

タイトルバックの稚拙な水彩画は、平成六年の春先に、

ある看護婦さんと戸田公園に散歩してスケッチしたものである。

この看護婦さんには、平成五年から八年までのおよそ三年間お世話になった。

私が一番辛かった時の三年間を公私にわたり、喜怒哀楽を共にしてきた戦友でもある。

私はALSのよって、十分過ぎる程の損傷を被ったが、

彼女は私との三年間にどんな損傷を被ったのであろうか、とふと、思ったりするのである。



写真はいずれも、気管切開から半年以内のものである。

当時の私は、今の私を知る由もないが、運命を垣間見ることはなんと残酷なことであろうか。

いずれも、なにか憂いを帯びて見えるのは気のせいであろうか。

やがて、「決戦は月曜日」がやってくるのである。