『白内障』
2011/12/03
大学病院で、白内障の手術をした。 三泊四日の予定であった。 この病院は、20年前にも、半年ほど入院のした事がある、 思い出深い病院である。 20年前は、私は、健康そうにみえて、手足は動いたし、話もできた。 私が、ALSの事を知っているのは、主治医と家族だけで、 知らないのは、本人だけのパターンであった。 その病院を退院する頃には、自転車が、乗れなくなり、 この頃よりALSの症状が、加速していったのである。 白内障のオペの主治医は、女医であった。 オペは、15分で、終わるはずだったのだが。 オペの内容は、眼球にレンズをいれるという恐ろしいものだった。 私が、一番、恐れた事は、意思の疎通が、できない事だった。 オペ室に、ヘルパーは、同伴できないのである。 発病から23年。 呼吸器をつけて17年。 胃ろうをあけて15年。 声を失って15年。 オペ室は、圧倒的な広さと沢山のスタッフと、そして、沢山の医療機具。 私のベッドは、中央にセットされた。 白内障は、左眼だけなので、左の顔面に消毒する事から、始まった。 次に、麻酔の目薬を、後は、天井から目薬がおちてくる中で、オペは、おこなわれた。 左眼は、機械で大きく開けられた。 オペは、痛みはなかったが、同じような事が、三回繰り返された。 その女医とアシスタントが、何回も話をしていた。 そのシーンに、私は、不信感を抱いた。 後できいた事だが、オペは、1時間近くかかったという。 家族とヘルパーが、私を迎える中で、私は、文字盤を通して、 「オペは、失敗だった」と叫んだ。 白内障はともかくALSは、残酷な病気だ。 20年間、私の身体は、機能を奪いさり、最後の砦の目をも、奪いさろうとしている。 入院は、予定より1日はやく退院した。 これには、どんな理由があったのだろうか。 これで、私も年寄りの仲間入りをしたわけだ。 「彰おじいちゃんが、JUJU(ジュジュ)をきいているよ!」と、 孫にひやかされる日も、そう遠くは、ないという事か。 |