『余命6ヶ月の還暦オヤジ』

2010/07/05

 




還暦といっても、「そうね」、あんまり実感はない。

サラリーマン時代の同期は、定年を迎えたわけである。

私の40代50代は、空白の時代になったが、

彼らの40代50代は、どのように過ごしたのであろうか。

ちょっと気になるところではある。

あまり追求すると、切迫観念にとらわれるのでやめるが、

こんな時は「こんな人生もあるんだなぁ」と、思うようにしている。

いくらか気持ちが鎮静化するようだ。

私は、15年間寝たきりの生活をしている。

実感がないのは、15年間一般社会とは没交渉だから、やむを得ないが。

シカタナイ、シカタナイ。

15年間、ヘルパーさんに介護を受け、

24時間ヘルパーさんの監視(?)のもとで、

プライバシーのない生活を送っている。

それがALSの宿命でもある。

私はといえば、ヘルパーさんの鼻の穴を下から覗いて、

鼻毛の伸び具合を観察する日々である。

ノビ!ノビ!

私の関心は、ヘルパーさんの容姿と言動にある。

エロー!エロー!

最近、眼球の劣化が激しくて「暮れまで、もたないな」と、

根拠のない推測をしている。

目が悪くなって、また絶望と正面から対峙することが、多くなってきた。

ALSは、不随筋は侵さないと言う定説があるが、

ALSはそんな慈悲深い気持ちを持ち合わせているだろうか。

いっそのこと、一撃で心臓を止めてほしいものだが。

それが、慈悲というものだ。

還暦とは、初めの暦に帰ること。生まれた年に帰ること。

換言すれば、「初心に帰る」ということか。

私にとって、初心とはどういうことか。

ALSの原点に帰る、ということか。

それはできない相談である。

ムリ、ムリ。

既に私は還暦を過ぎ、第二のALS人生をスタートしている。

何年生きるか分からぬが、何をよりどころとして生きていこうか、

逡巡しているところである。

JUJUが「明日が来るなら」と歌っているが、

ALS患者には抽象的な意味での「明日」は不要だ。

明るい未来を望むより、ALSの進行速度のほうが早いからだ。

むしろ、「昨日が来るなら」と歌ってほしいものだが。

ジャンジャン。