『迷走』

2010/04/26

 



年々歳々、各地で、桜の開花が早まっている。

地球の温暖化が原因と思われるが、

今年の桜の開花も、早かったようである。

しかし、今年は異常気象によって、桜の満開の時期が、

遅くなったようだし、散り際も、各地で、それぞれ遅くなったようである。

今年の桜は、異常気象に翻弄され、迷走しているようだった。

政治の世界も、迷走しているようである。

まさか異常気象が、原因ではないだろうが、鳩山政権の迷走ぶりは露骨だ。

迷走するということは、選択肢が複数以上あるということだから、

そんなに非難されたものでもない。

野党時代は、のびのび、ハツラツと、決断していたものだが、

一転して与党になると、逡巡したり、動揺したりして迷走する。

何事も、当事者になると冷静さを失い、

迷走したり、暴走したりして、即決即断をしずらくなるものだ。

今、私も迷走している。

この半年で、眼球が著しく劣化したのだ。

これからの半年で更に劣化する可能性は大である。

迷走している私だが、選択肢は限定されている。

呼吸器をつけているALS患者にとって、「死」は身近な問題である。

「死」をネガティブに考えるのではなく、

ポジティブな「死」もあるのではないか。かな?

男女の別れにおいても、迷走する例は、おおにしてある。

高橋真梨子の「五番街のマリー」は、「ジョニーへの伝言」のアンサーソングだが、

マリーとジョニーの別れにおいても、二人は迷走している。

高橋真梨子は、その二人の心情を、見事に歌い上げた。

迷走するということは、決して否定されるべきものではなく、

愛すべき人間のヒューマンな一面でもあろう。

「ああ、人間」である。

決断しかねている私に、遠くから,声が聞こえる。

「ピート!まもなく、俺も逝くからな、待ってろよ!」と。