『青い空』

2009/12/07

 


「最近空が青いな。」

心に染みる青さだ。

よく横向きになると、林立するマンションの隙間から、

青い空が見えるのである。

「青いな」と感傷的な気分に浸るのである。

加藤登紀子の、

「人は昔々、鳥だったかもしれないのね、

こんなにもこんなにも、空が恋しい」

こんなフレーズがあるが、人類は空を仰いで育ったかもしれない。

私の30代は、管理職になり、結婚もあり、空を仰ぐ時間も余裕もなく、

突っ走ってきたような気がする。

そして、一気にALSに突入したのである。

人は、精神的に安定している時は、空を仰がないような気がするのだが。

発病の頃は、よく空を仰いでは、ため息をついていたような気がする。

私は声を失って15年経つ。

気管切開の時に、一番恐れたのは、声を失うことであった。

それを少なからず救ったのは、人ではなく、モノである「文字盤」であった。

最終的には、「モノ」の手に救われたのである。

今では、「文字盤」が私の唯一のコミュニケーションツールとなったのである

「文字盤」は、私の喜怒哀楽を見てきた。

そう思うと、なんだか愛着がでてくるから不思議である。

口から飲み食いできなくなって、11年経つ。

ここでも、「モノ」である、胃ろうによって、延命されている。

もちろん、マンパワーがなくては、「モノ」としての命は活かされないが、

「モノ」によって 延命されているなぁと、しみじみ思うのである。

それが人工呼吸器であり、吸引器であり、

カニューレであり、そして文字盤でもある。

私を救っている、これらの延命器具に感謝すべきだろう。

私が昇天するときには、

これらの「モノ」達と、一緒に葬ってもらいたいものだが。

今日も、空が青い。

漫然として、空を仰いで、来し方を振り返っては、ため息をつくのである。