物語『ススキのなみだ』

2009/08/22

 


東京から西へ、2時間ほどのある村に、若い夫婦が住んでいました。

農家の「離れ」を借りての二人暮らしでした。

周囲は、里山の風景そのままのロケーションでした。

小高い丘の上からは、村が一望でき、棚田も見えました。

空気が澄んでいることを、肌で実感できました。

夫婦の庭には、沢山の草木が植えられていました。

山桜、柿の木、椿、ツツジ、ススキ、などなど。

夕暮れ時に、夫婦は、杉の丸太に腰かけて、一時を過ごすのが日課でした。

夫婦の隣には、柴犬のゴローが、二人の顔色を見上げていました。

夫のさとるは27歳。

バイクで30分ほどの市役所に勤務しています。

真面目を絵に描いたような男で、物静かな男です。

市役所の文書課という彼には、ぴったしの勤務です。

妻のともこは、25歳。

茅場町の繊維メーカーに勤めていましたが、結婚と同時に退職して、今は、村のホームセンターにパートとして勤めています。

その「離れ」の裏には、夫婦の畑がありました。

30坪ほどの小さな畑です。

今は、夏野菜を育てています。

ナス、キュウリ、トマト、珍しい物としては、白ゴーヤがあります。

10種類程育てています。

もちろん、2人の食卓に、彩りを添えます。

飽きっぽいともこは、手入れを怠り、よくさとるに怒られています。

それでも、畑は、2人の良いコミュニケーションの場所になっています。

さとるは、勤めから帰ると、畑を見回るのも、日課の一つです。

ある時、母家のご家族にお呼ばれされた事がありました。

夫婦は、手ぶらではまずいし、どうしようかと思いましたが、ともこの「行きましょ」の一言で、決まりました。

羊羹を持っていく事にしたのでした。

この夫婦は、どうやら妻のともこがリーダーシップをにぎっているようでもありました。

市役所に、応募する時も、ともこが、さとるの背中をおしたようでした。

こうして、2人は仲良く、念願の田舎暮らしを楽しんでいましたが、さとるが知らない所で、ともこは、活躍していたのです。


この夫婦は、若いだけに、「夜のいとなみ」は、

激しいものがありました。

ほとんど毎日でした。

土、日は、さとるは、2回、3回と、ほしがる事も、

珍しい事ではありませんでした。

さとるは、プライドが高く、その分だけ、

性に対して、貪欲のようでした。

土間で、寝ていた愛犬のゴローも、

時には、その「いとなみ」に、参加する事もありました。

動物は、本能的に、性を理解する事ができるのでしょうか。

「いとなみ」の最中の、ともこの足をなめたり、

さとるの腕を噛んだりするのでした。

ともこにとって、さとるは、初めての男性でした。

その分、さとるに対する思いは、ひとしおでした。

ともこから求める事もありました。

しかし、結婚3年目にして、ともこは、

さとる以外の男性を知りたいと思う気持ちが、

にわかに芽ばえてきたのでした。

その気持ちを、度々おさえてきたのですが、

「いとなみ」の最中に、ある男性を思い浮かべる事も、

あるようになってしまったのでした。

ともこは、目は細いが、端正な顔立ちで、

目立たない美人でした。

ともこのパート先のホームセンターでは、

男女共に、人気がありました。

中でも、ホームセンターのマネージャーの福田は、

傍目にもわかるほどの、ともこにお熱でした。

ともこも、福田に好意をもっていました。

何度か、福田に誘われましたが、

その度にお断りしていました。

福田は、長髪で、スタイルも良く、

明るく良く笑う男でした。

さとるとは、真逆の性格で、

いわゆる、「もてる男」でした。

何度か、断ってきましたが、ある日の金曜日に、

福田とお茶を飲む事になったのです。

その日は、さとるが残業でした。

村で、たった一つの喫茶店の

「シラカバ」に行く事になったのでした。

その日は、おめかしして、

ともこのお気に入りのワンピースを

着ていく事にしたのでした。

さとるは、そんなともこを不審に思ったものの、

微塵も疑わなかったのでした。

偶然にも、車で役所に戻る時に、

その2人を見てしまったのでした。

楽しそうに談笑する2人を。

さとるは、心臓が、とまるかと思ったのでした。


いわゆる不倫は、ほとんどの場合、女性が憂目をみるのだが、

最近では、男性が憂目をみる場合も多いそうである。

ちなみに、あるデータによると、不倫した事のある主婦100人のうちで、

A型の血液型の主婦は、80パーセント近くを占めたそうである。

ともこさんは、A型である。

さとるくんも、A型である。

A型同士の夫婦は、陰鬱な喧嘩をする事があるらしい。

「さとる!どうしたの」と、ともこが聞いても、

さとるは、だんまりを決め込んだままでした。

ともこは、なぜ、さとるが怒っているのか、薄々は、勘付いていました。

でも、福田といる所を、見られたとは、思ってもみませんでした。

さとるは、ともこが一緒にいた男が、誰なのか、ともこと何をしたのか、

気になって仕方ありませんでした。

さとるは、月曜日の昼休みに、2人が出てきた喫茶店を、

見に行こうと決心しました。

月曜日の昼休みにバイクで「シラカバ」を、見みに行ったのでした。

「シラカバ」は、中年の夫婦がやっていました。

カウンターとテーブル席が、5個の小さな喫茶店でした。

愛想のいい、奥さんが印象に残ったようでした。

さとるは、1番手前のテーブル席に座りました。

悶々とした気持ちで、2人の事を想像していました。

店の夫婦が、不思議そうに見ていました。

客は、カウンターに2人と、テーブル席に、2人組が2組いました。

奥さんが、さとるに声をかけました。

「役場の方ですか」

「ええ、そうです」

さとるは、不意の出来事に、返事をするのがやっとでした。

時計は、1時10分前でした。

さとるは、慌てて飛び出して、バイクに飛び乗り、

左右の確認をしないで、発進しました。

その瞬間でした。

右から来たトラックに跳ね飛ばされたのです。

バイクは、「シラカバ」のドアに勢いよく体当たりしました。

さとるは、歩道に投げ飛ばされたのです。

「シラカバ」の夫婦が飛び出してきました。

さとるは、全身血まみれで、意識はありませんでした。

やがて、救急車が、かけつけました。

店の奥さんは、気が動転していましたが、

ご主人は冷静で、救急車を呼び、役場にも連絡しました。

近くの商店などから、人が集まり、

すぐに辺りは、黒山の人だかりになりました。


この村には、スーパーやコンビニはありません。

ほとんどが、個人商店です。

ですから、横の関係が強く、横の結びつけも強い村です。

あっちこっちで、会話を交わしている光景がみられます。

コミュニケーションの豊かな村でもあります。

時には、駅前通りを牛を率いている村民の姿もみられます。

昭和30年代の古き良き昭和の香りのする村でもあります。

ともこが、農家のご主人から、

さとるの事故の事をきいたのは、2時前でした。

顔面は蒼白で、ともこの頭の中は、真っ白でした。

身体と意識が、アンバランスでした。

農家のご主人の車で、

駅前の総合病院についたのは、3時過ぎでした。

ICUの前のソファーに、農家のご主人と座って、

ともこは、手を合わせて、

さとるの無事を必死に祈り続けました。

農家のご主人は、そんなともこの姿をみて、

一言も声をかけられませんでした。

担当の先生が、お見えになったのは、5時近くでした。

「ご主人は、命に別状ありません」

そこまできいた所でともこは、よろけそうになり、

農家のご主人に支えられました。

担当の先生は、「おかけになって下さい」

「大丈夫ですか」と、ともこを心配そうに、

覗き込みながら、農家のご主人をみました。

「ともこさん、大丈夫ですか」と、

農家のご主人は、ともこの肩を起こしました。

「大丈夫ですから、主人の具合を教えて下さい」と、

ともこは、立ち上がり、先生に一礼をしました。

農家のご主人も立ち上がり、

ともこの肩を支えながら、一礼をしました。

「命には、別状ありませんが、大変な怪我です。

手足の骨折に、腰にもヒビがはいっていますね。

頭も打っておられるようです。大変な事故でしたね。」

ともこは、先生の顔を凝視しながら、じっときいていました。

ともこの顔は、蒼白のままでした。

やがて、看護師さんに面会を許されたのは、

6時をまわっていました。

「ご主人は、意識は戻りましたが、

危険なので、身体には触れないで下さいね」

と、看護師に導かれて、二人は病室に入ったのでした。

さとるは、全身包帯状態で、目だけ除いてありました。

ともこは、さとるのそばにゆっくり歩みよりました。

唇は、渇いていました。

ベッドの横まで来ると、突然、ともこは、

崩れるように倒れ込み、ベッドの横にひざまつきました。

農家のご主人は、その光景を呆然とみていました。

「さとる、ごめんなさい!ごめんなさい!」

ともこは、今までこらえていたものが、

一気に吹き出したように、嗚咽しだしました。

ともこは、さとるの指に軽く触れながら、

さとるの顔に視線をうつしました。

さとるは、目を閉じていましたが、涙が枕を濡らしていました。

さとるの身体には、3本の点滴がさげてありました。

「さとるぅ」

ともこは、静かにうつむくと、嗚咽しだしました。

農家のご主人は、入口付近で、涙ぐんでいました。

いくら、秋の長雨といえども、今年は、記録的な長雨でした。

若夫婦の家のススキが、たっぷりと長い雨を濡れて、

尚、一層輝いていました。

それでも今日は、午後から晴れまも覗いて、

主のいない庭には、愛犬ゴローは、

真っ赤な夕日を目を細めながら浴びていました。

ススキが風もないのに、ゆれていました。

「明日は、快晴だな」

ゴローはつぶやきました。