『平等と公平』

2008/10/03


 




もう、20年以上も前の事で。サラリーマン時代の事である。

部下10人ほどの管理職を、8年ほど勤めた事があった

新任のころは、部下10人を平等に管理しようと努力して、腐心してきた。

しかし、それは、私にとって間違いだった事に、まもなく気がついた。

優秀なもの、そうではないもの、

私に忠実なもの、そうでないものなどに、

一律に機会を与える事は、いかにも不公平であるし、

管理職としての権限を放棄しているようなものだ。

私は、部下の管理を、それぞれの実力に応じた

管理方法にかえたのである。

卑近例で、恐縮だが、6個のケーキを3人で分配する時に、

2個ずつ均一に分ける方法は安易な平等のやり方である。

Aには、4個、、BとCには、1個ずつ配るやり方、

あるいは、Aには、3個、Bには、2個、Cには、1個、

あるいは、Aには、6個、BとCには、0個、

様々な方法があるであろう。

これが、公平な管理方法ではないであろうか。

ちなみに、上司が部下を洞察する力と部下が上司を洞察する力では、

どちらが上回るであろうか。

私の経験では、部下の洞察力の方が上回っているように思える。

やはり、管理する側の方が多人数になる分、

一人一人の管理は希薄になるようだ。

利用者とヘルパーの関係も洞察しあう関係になる。

この場合、とどちらが管理する側になるかは微妙だが、

利用者側の洞察力の方が、劣るように思う。

利用者とヘルパーの関係においても、

「平等と公平」の理念は、該当するであろうか。

およそ、利害関係が絡む人間関係には、

この「平等と公平」の理念が該当する。

さて、利用者とヘルパーだが、様々な機会を共有する事になる。

ヘルパーを、介護の実力で、客観的に区分けする事は、

微妙で困難な事ではある。

やはり、それはヘルパー個人のキャラクターや

利用者との相性などによって区分けする事が、

公平の理念からみても妥当であろう。

介護の社会きおいても競争原理は働くし、

「平等と公平」の理念は該当するであろう。

介護の社会ほど人間臭い社会もないであろう。

そこから、様々なトラブやドラマが生まれる。

それは、必然であろう。

「ああ、人間」

もう既に、空も風も、秋色になってきましたね。