『詭弁』

2008/09/11

 




俗に、「悪気があってした事でない」とか「憎くて怒っているのではない」など。

いわゆる詭弁は日常生活で、慣用句として使われている。

心理学的には、これらの詭弁は、初歩的な詭弁になるのであろうか。

いずれも「悪気」が背景になっているし、「憎しみ」が基本になっている事は、

心理学的にも事実である。

他にも、「君の為にした事だ」とか「愛しているからこそ心配しているんだ」などなど。

詭弁を批判するつもりはない。

詭弁は、人間の知恵であり、日常生活の潤滑油でもある。

典型的な詭弁は、政治家の弁舌であろう。

詭弁の巧みな政治家ほど人気があるのは、皮肉であり、

ある意味では、象徴的な事である。

「もてる男は、詭弁が巧みだ」とゆったのは誰であろうか。

男性の僻みか、女性の実感か。

詭弁は、主に男性の専有事項のようであるが、

女性は肉体を使って表現する、一種の詭弁もある。

女性の場合は、詭弁というよりもパフォーマンスと言った方が適切であろうか。

いわゆる、「ぶりぶりぶりっこ」的なな表現方法である。

詭弁は、ある種の目的を達成する為の一つの表現方法であるが、

受け取る側によって、良くも悪くも取れる事になる。

だから、詭弁は、文字通り危険な表現方法ではある。

詭弁の効用は、各種あるが、リスクを承知の上で使うべきであろう。

「ハイリスク、ハイリターン」である。

「私は、ALSに冒されたからこそ、

五体満足の素晴らしさをアピールできるのである」 と

これは、詭弁ではなく実感である。