データ

2008/08/28

 




最近、息苦しさを覚えて、

脈も平均して10以上、以前より下がってきた。

周囲は、「暑さのせいだ」と、言うけれど、

それをうのみにするほど、私は素直な性格ではない。

私は、比較的、人の意見に耳をかさない方である。

何事も、自分で確認しないと気がすまないタイプでもある。

主治医は、「データー的には、正常値の範囲内なので問題ないと思います。

脈が40台になると危険ですが」との診断結果だった。

ふと、15年前を思い出した。

気管切開をする、3ヶ月前の事である。

夜中に、息苦しさで目を覚めた事があった。

私は、「ついに、きたか」と、身の締まる経験をして、

恐怖感を覚えたものであった。

その当時の主治医も

「データー的には正常なので、気管切開は、まだ心配ないですね」

しかし、その3ヶ月後には、データーの思惑に反して、

気管切開をしたのであった。

データーと実感との温度差である。

今回の事が、その当時と当てはまるかは疑問だが。

データーは、あくまで過去の傾向であり、認識でもある。

実感は、現在進行形である。

実感を、客観的に、データーとして把握する事は、困難である。

故に、温度差という認識の違いが生じるのであろう。

実感を検証する為の1つとして、24時間の「ホルダー心電図」を装着してみた。

結果は、「異常なし」との事であった。

データー的には、脈が54〜100の、いずれも正常値の範囲内である。

私は、一安心というより、ますます疑念が深まったというのが、正直な所である。

病人とは、そういうものであろう。

私は、呼吸器をつけて14年になる。

そろそろ、心臓にも「金属疲労」がきているのではないであろうか、

という危惧をもってはいる。

その事が、データーを安易に受け取れない根拠でもあろうか。

いずれにしても、長い闘病生活が、

私の性格を「ゆがめてしまったなぁ」と、おもいつつ、視線を遠くに、移すのである。

ちなみに、「ID野球」の野村監督の言葉が思いだされる。

「データーに頼りすぎると、失敗するというデーターもある」と。