『ギャップ』

2008/03/27

 



女子マラソンの、高橋選手のファンである。

彼女のインタビューでのコメントが、

実に自然で、感性豊かで、爽やかなのである。

彼女のコメントから、彼女のファンになったと言っても過言ではない。

「文体は人なり」と言うが、まさに「コメントも人なり」である。

女子マラソンのトップの選手は、おおむね、爽やかで嫌味のない選手が多い。

有森選手しかり、千葉選手しかり、野口選手しかり、

古くは増田選手しかり、等など。

彼女達の、インタビューでのコメントが、

本人のイメージとのギャップが少ないのである。

コメントに嫌味がないのである。

これは何故なのであろうか。

マラソンというスポーツが、肉体の極限を追求するので、

それを体験した彼女達は、精神においても、

虚飾を廃することが、可能になるのであろうか。

彼女達のコメントが、意識的に脚色されたものとは思えない。

しかしながら、先日の名古屋国際での高橋選手のコメントは、いただけない。

そのコメントは不自然で、作られた感じを受けた。「おや?」と思ったのである

事前に、脚色したような印象を受けた。

レースは稀にみる惨敗で終わった。

コメントとレースとの、因果関係は分からないが、

「コメントは人なり」を引用すれば、何かあるように思えるのだが。

レース前から、Qちゃんは既に疲れていたと、推測することも可能だろうか。

まさに、「コメントは人なり」である。

コメントが、謙虚過ぎるのは嫌味に聞こえるし、

高慢過ぎると、反感を買うだろうし、

自然なコメントは、本人のキャラクターと比例するように思える。

イメージとコメントとのギャップは、

本人のキャラクターそのもののように思えるのだが。

キャラクターが変われば、ギャップも修正されるであろう。

その意味では、Qちゃんのキャラクターも、変わったのであろうか。

何か,さびしいような気がするのである