『勘違いは素敵』

2007/10/21

 



チューリップは、チューリップで他の花と勘違いのしようがないし、

その存在が確立している。

トルコキキョウは、種類によってバラと勘違いすることもある。

最近、私は、私の勘違いを思い知らされたことがあった。

親子関係や兄弟関係など、いわゆる、血縁関係を除いて、

人には様々な人間関係がある。

親友関係、恋人関係、夫婦関係、師弟関係等など。

そして,「ヘルパーと利用者」も。

それぞれに様々な勘違いが生じる場合がある。

愛していたのに相手は、「別に」という場合もあるであろうし、

「信頼していたのに」不倫を犯していたりなど。

こういう勘違いは、どんな背景や原因で起こるのであろうか。

ひとつには、過剰な想い入れが原因の場合もあるであろうか。

私は、「ヘルパーと利用者」の関係を経験して15年近くになる。

「ヘルパーと利用者」、介護する側とされる側と、

構図が明瞭であるし、利害関係もあるので、

勘違いの余地は一見なさそうに見えるが、

おっとどっこい、そこは人と人の関係である。

同じ土俵で相撲をとれるはずはないが。

最近私は、友人だと思っていたあるヘルパーさんに、

私の勘違いを痛烈に思い知らされたのである。

当然ながら、そのヘルパーさんとは

「ヘルパーと利用者」であることは認識していたのだが、

つい、同じ土俵に上がって相撲をとろうとしたのである。

「ヘルパーと利用者」の基本理念に立ち返ってドライに割り切るべきか、

気持ちが揺れている今日この頃ではある。

勘違いは、人間だけではなく、動物界にも植物界にもあるだろうし、

命あるもの全てにありうるであろう。

それは、生きている証でもあるからだ。

その意味では、私の体は「死に体」ではあるが、

当然ながら、生きているんだなと思うのである。

勘違いは辛いことではあるし、生きていることにうんざりする日々ではあるが、

もう少し「生」を楽しんでみようかと思う。

例えば、犬に育てられた猫が、「ワン」と吠えたところで、

それはそれで素敵なことではないであろうか。

そう思ったら、何か、気持ちが楽になるような気がするから、不思議だわ!