『イメージ』

2007/8/26

 




今また、政治が面白いし興味深くもある。

この風潮は、小泉元総理以降のようである。

政治の内幕が暴露され始めている。

これは、政治の透明性が高まったと言えようか。

この現象は、我々国民にとっては好都合だが、

政治家にとっては、不都合なことが多いようである。

政治の機密性、秘密主義が崩壊し始めているからであろう。

こういう時こそ、強烈なリーダーシップが問われる。

これは政治に限らず、企業や個人においても、である。

「KY」とは、「空気が読めない」の略で、安倍総理を揶揄している言葉らしい。

確かに揶揄されても仕方ない面もあるであろう。

総理としての器でないのであろう。

昨年、安倍総理が誕生したときに、

「一年持つであろうか」と、思ったのは私だけではないであろう。

総理の目前で身内の自民党の議員から、

あからさまに批判を受けることは、過去に例のないことであろう。

俗に、批判の上手い人ほど、逆に、当事者になった時にもろいものであるが。

リーダーシップの無さ、求心力の無さ、決断力の遅さ、などが批判を生む背景である。

いずれにしても、安倍総理の不甲斐無さは、定着されつつある。

ここはひとつ、決断して、内閣改造の後に辞任すべきと思われる。

一度ついたイメージを払拭するには、かなりの労力と時間が必要になる。

安倍総理は、いわゆる拉致問題で国民の信頼を得たのだから、

もう一度、拉致問題に積極的に取り組んだらどうであろううか。

拉致問題に進歩が見られれば、また、信頼を回復できるであろう。

皮肉にも、汚名挽回のチャンスは、辞任することである。

私は、ALSを発病して19年目になるが、

発病当時は、余命数年と言われたものである。

それがALSに対しての、一般通念でありイメージでもあった。

今は、呼吸器をつけて13年目になる。

呼吸器をつけ、ケア、メンテナンスの管理をきちんとすれば、

そこそこの社会生活は立派に営めるのである。

しかし、ALSの患者の中には、呼吸器を拒否し、

自然死を選択する人が後を絶たないという。

凄まじくも死を選択するのである。

おこがましいことではあるが、

私が生き続けることで、ALSのイメージの一新と啓蒙になればと思うのである。

抽象的な理念では、奮起することは難しいが、

萎えていく気持ちを奮い起こしているのである。よいしょっと。