『ALSは行動する』

2007/7/23




所詮、人間も動物である。

野性の摂理である、弱肉強食の理念は人間にも引き継がれているであろう。

人は理性により、その理念を潜在化させているが、

意識する、しないに関わらず精神的な意味での、野性の爪と牙は常に磨かれている。

最近、老人施設での、介護士による虐待のニュースを耳にする。

これは介護士の人格は基よりだが、

弱者虐待の野性本能も原因になるのではなかろうか。

言わば、動物たるゆえんなのであろう。

人が人を介護するということは、相当なストレスになるようだ。

介護される側の私でも認識の上では理解できる。

生命の根源に触れる介護ほど、その度合いは高いであろう。

それは、自然の摂理に反する行為であるからであろうか。

私は、ヘルパーさんに介護を受けるようになって15年余り経つが、

その間50人程のヘルパーさんにお世話になったであろうか。

あるヘルパーさんには、4年程お世話になった。

献身的で自己主張も殆どなく、温厚で優しい方であった。

その方が、4年目を過ぎたあたりから、

私の意志を無視したり、自己主張が強くなったり、

急に反抗的な態度をとるようになったのである。

当時私は、その人の豹変ぶりに驚き理解に苦しんだが、

今思えば野性の兆しが見えたのであろうか。

大変失礼な言い方だが、

私は、ヘルパー三年耐用説という持論を抱いている。

私の介護には、危険が伴うので、覚えて慣れるまでに時間がかかるが、

覚えてしまえば、あとは単純介護の繰り返しになる。

3年目あたりからヘルパーさんは、刺激や変化を求めるようになる。

その反動として、私の意思を無視したり、反抗的になる。

時には、それがイジメや意地悪に発展することもあるであろう。

介護においても、理性と野性のバランスは必要であろうか。

テレビで象徴的で残酷な、あるシーンの記録番組を観た。

トラに襲われて瀕死の野獣が、仲間に守られながら必死でトラと戦っているのだが、

ある時、仲間が諦めるようにその仲間を見捨てるのである。

新たな局面が展開したわけでもないのに、何故事態が急に変化したのであろうか。

私は、その瀕死の野獣が、

戦う意思をなくした合図を仲間に示したのではなかろうかと思うのである。

言わば、ギブアップしたのである。

その後の野獣の末路は、言うまでもない。

患者とヘルパーさんの関係の硬直化を打破するには、

いろんな方策があるであろう。

人事の活性化を始めとして、いろんな意味での活性化が必要である。

私は、ヘルパーさんに、介護以外の雑務をお願いしている。

例えば、このホームページの原稿も特定のヘルパーさんにお願いしている。

介護以外の雑務をお願いすることによって、

ヘルパーさんのアイデンティティーが高まり、意識の活性化を図れるのではないか。

何よりも大切なことは、様々な環境を停滞させないための、

活性化しようとする意思であろうか。

私は、24時間全面介助を受けているが、体はヘルパーさんに委ねているが、

気持ちの上では無防備にならないように心がけてはいる。

ヘルパーさんを信頼するものの、精神は委ねずか。

十数人のヘルパーさんを管理することは、

私のほうの意識レベルでの活性化を図らないと、

漫然としていては、様々な環境は停滞してしまうであろう。

私の肉体は、死に体だが、意識は活発に活動したいし、

戦う意思を発し続けたいものである。

こうしてALS患者は行動する、なのである。

生きるしかばねには、ならないぞ、と。