2007/6/11

「品格とその周辺」



近頃品格という言葉の周辺が、騒がしい。

それは、少し前にヒットした、

『国家の品格』という本に端を発しているように思われる。

国家の品格というタイトルは、衝撃的であった。

この本がヒットしたのは、不穏な世界情勢が背景にあると思われるが、

時代のニーズを的確に切り抜いたとも言えようか。

パズルで、1ピースがピッタリはまった時のような快感を覚える。

1970年代にヒットした『縦社会の人間関係』に匹敵するヒットであろうか。

久々に、時代を切り抜いたベストセラーであろう。

いずれにしても、影響力の大きい,タイムリーな本ではある。

一方、最近『女性の品格』という本がヒットしているという。

読者の8割は、女性らしい。当然であろうか。

著者には失礼だが、この種の本は読まなくても、内容がわかる気がするのである。

品格をテーマにした本は、続々と出そうな気がするのである。

例えば、『男性の品格』とか『政治家の品格』、『力士の品格』、『教師の品格』、等など。

政治家と力士、相対しながら、

それぞれの品格を論じたら面白い評論が書けそうな気がするのだが。

力士の品格といえば、朝青龍が思い浮かぶ。

いくら横綱とはいえ、彼に品格を求めるのは酷だ。

彼は、頭のてっぺんから足の指先まで、勝ち気と負けん気が溢れている。

それが彼の魅力なのである。

そのうえ、品格を求めるのは、いかがなものか。

彼の品格は、ともあれ、彼は立派な人格の持ち主である。

人格をクオリティーとするなら、品格はセンスになるであろうか。

人格は、人為的に形成されるが、品格は、生来のものであろう。

あるいは、環境が決定するものでもあり、努力の圏外にあるものであろう。

品格をセンスに置き換えると、発想がより明確になるであろうか。

曰く、国家のセンス、政治家のセンス、力士のセンス、教師のセンス、と。

あまり品格を論じても、無意味な気がするのである。

ALSは、人格も品格も否定する。そのうえ、存在さえも否定する。

こうして私は、頑固に偏屈に、ひたすらエゴイストになっていくのである。