2007/5/07

「星空に両手を上げて」


私には、50年来、恩人はいても恩師はいない。出会わなかったと、思っている。

それは私の懐疑的な性格にもよるが、私はプライベートを他人と共有したり、依存することを、嫌う性格による為でもあろう。

それは、生来のものか、環境が決定したものか、定かではない。

私は子供の頃から、親に相談などをしない子供であった。

進学や就職、結婚離婚に関しても、殆ど親に相談しなかった。

一人で選択し決定し、苦悩し逡巡した。

恩師はいないが、影響を受けた方は沢山いる。中でも3人の方が、思い出に残るであろうか。

一人は、高校時代の古文のA先生である。彼は国学院大学の大学院の出身である。

私は、彼の影響を受けて、国学院を選択したと言っても過言ではない。

彼の古典文学に対する情熱は、熱いものがあった。

彼の影響で、古典に対する思いが開花したことは言うまでもない。

30年程前に彼が沖縄の大学に赴任したことを、知った。

私は、なるほどと一人悦に入った思いであった。

沖縄は民俗学の宝庫であり、古典文学のルーツでもあるからだ。彼が嬉々として赴任したことは容易に想像できる。彼にとっては、願ってもない環境であったのである。



彼がまだ御存命なら、かなりの御高齢になるであろうか、今も古典文学に熱い思いをお持ちであろうか。また、彼の講義を聞いてみたい気がするのだが。

もうひと方は、サラリーマン時代のB課長である。

彼の妥協しない強い意思とテリトリー意識の強さには、魅力的に影響された。それほどまでにしなくても、というほどまでに妥協しなかった。

その反面、上司には、簡単にまかれて流されてしまうという、器用さも兼ね備えている。その辺が憎めないところでもある。

彼は、大学時代にボクシングの経験があり喧嘩が滅法強かった。お洒落で気が優しいので若い女性にはとてももてた。

アフター5には女性を欠かしたことがなかった。

彼は私より7才上だから既に定年を迎え、第二の人生を歩んでいるに違いないであろうが、今も若い女性をはべらかせているのであろうか。ふと会いたくなる方ではあ る。

もうひと方は、言わずと知れた、ALSである。

ALSを擬人化するには、無理があるが、私の人生の3分の1は、ALSと共存してきたわけであるから、ALSを客観視するスタンスも必要であろう。

肉体的には、言うに及ばず、精神的には、どんな影響を受けたであろうか。自覚意識はないが、いずれ、破綻が来そうな気がするのである。

先日、30代のALS患者の訃報を聞いた。

私は、その方に認識はあるものの、面識は全くない方である。

またひとりALSの犠牲になり、彼の無念さが広がり、その無念さの輪が私の無念さに広がっていくのである。その無念さは無限大である。いつになったらその無念さが解消されるのであろうか。忌わしい限りである。

私の存命のうちに、星空に仁王立ちすることは不可能であろうが、せめて、夢にでも見たいものである。

「星空に両手を上げて」と。