2007/3/23


『ピートは、知っている3』

学生時代、印象派を中心に絵画展を、よく観て歩いた。ことごとく観たと思う。

絵画で触発され、何かイメージが湧いてこないかという、少し不純な下心を持ちながらの鑑賞であった。

結局、絵画によってエッセイなり小説を書けたことは殆どなかった。

音楽を聴いて、短編を書けたことはあったのだが。

音楽の能動さに比べて絵画は、受動的なのであろう。

私は現在、12人のヘルパーさんに介護を受けている。

ヘルパーさんによって、イメージが湧くことはないが、それぞれのヘルパーさんに影響を受けて、考えさせられることは、少なからずある。

在宅患者の殆どは家族がメインになって介護をされてると思われる。

私の場合、四畳半という狭い空間の、言わばコミニティーにも様々な人間模様が展開される。

私利私欲はもちろん、対人関係の微妙な駆け引きや思惑や、トラブル等々。

介護そのものに対する画一性をヘルパーさんに求めることは可能だし、求めてもいる。

しかし、ヘルパーさんに理念の画一性までも求めることは、あまりにも横暴だし、エゴイスト過ぎるであろう。

ALS患者は、究極のエゴイストだと思っている。寧ろ、エゴイストにならざるを得ない状況であろう。

当然、ヘルパーさん12人の理念に私が合わせることになる。十人十色と言うけれど、12人に対応するわけだから、ストレスも相当なものになる。こうして、寝たきりの患者は神経をすり減らし、介護の代わりに命を削っていくのである。ALS患者の宿命でもある。

私は、10年以上ヘルパーさんにお世話になっている。

私が理想とするヘルパー像は、自己主張が控えめで献身的な方になるであろうか。

私の意思に物理的にも精神的にも、ぶれのない介護がして頂ければベストであろう。

10年のキャリアで得たことは介護を通じて、そのヘルパーさんの人間性の本質が見えてくるような気がするのだが。

今、東京都美術館で、印象派の絵画展が開かれてると聞く。

今なら、その絵画の主張するところの意味を、素直に吸収できそうな気がするのである。

見上げるとピートが、薄ら笑いを浮かべているように見えるから不思議である。