2007/3/8


『ピートは、知っている2』

15年程前、温泉病院から退院して自宅に戻って間もなく、突然耳鳴りがし始めた。

かなり狼狽し、かなり取り乱しもした。内心プレドニンというステロイドを止めたことによる後遺症と思われた。

こんなところにも、ALSの影響が出るのかと愕然とした。

耳鼻科医の診断は、非情なものであった。

「残念ですが、耳鳴りに慣れるしかないでしょうね」

以来、現在でも耳鳴りは続いているし、左耳は聞こえにくい。

耳鳴りという環境に適応して、順応したのであろう。

今では、耳鳴りを苦にしないし、気にもならないが、依然として、耳鳴りはしている。

呼吸器をつけて、13年目になる。

呼吸器という延命装置をつけているということは、不自然だし、決して日常的なことではないが、13年という歳月がそれらの環境を私にとって、日常的にしつつある。

呼吸器をつけているということは、ケアメンテナンスを含めて、辛いことではあるし、危険を伴うことでもあるが、不自然な環境に順応してきた結果であろう。

私は、手足は勿論どこも動かないし、口も聞けない。

いくら24時間介護といっても、ヘルパーさんを自分の意のままに動かすことは不可能である。

私の意思とできるだけぶれない範囲内で、妥協するしかない。

自分の手足や口にはなり得ないからである。

そういう不便な環境にも慣れ、適応してきた。

それは、時が解決したのではなく、困難な環境に適応するという、強烈な意思が働いたからである。

人間の、防衛本能は、ALSさえも、日常にしてしまう力を持っている。

慣れという適応能力は、対人関係にも言えるであろうか。

俗に、失恋の特効薬は、新しい恋人をつくることだという定説がある。

これは、ダイナミックに環境を変え、本人の適応能力を発揮させてしまうという荒療治である。

極端な例ではあるが、旧態依然とした環境に固執して未練を残したのでは、いつになっても苦悩や逡巡は、払拭されない。

新しい環境に、いち早く適応するという強烈な意思が必要であろう。

齢を重ね、日々頑固になる私にとって、その種の柔軟性は必要であると、痛感してはいるのだが。

ふと見上げると、ぬいぐるみのピートが横目で私を見つめ、そうかなあと、怪訝な表情であった。