2006/06/23


梅雨の季節といえば、あじさいが定番であり、

夏のひまわりと並んで双璧だろう。



雨に打たれて、精彩を放つ花も珍しい。

しかし、あじさいを好きだという人は少ないように思われる。

あじさいの花弁をよく見ると、精密でメカニックな感じさえする。

見ようによっては、グロテスクな気さえする。

鎌倉の長谷寺は、別名あじさい寺としても有名である。

なぜ、あじさいなのかと、素朴な疑問を持つ。



いずれにしても、自然の遺伝子の見事さと不思議さに圧倒されてしまう。

キリスト教のカトリックが、

ダーウィンの進化論を容認したことは記憶に新しい。

万物すべてを神の御業と、あるいは神の産物とするのは、

不自然であり、無理な思想認識である。

やはり、すべての事象に関しては、

ニュートラルなバランス感覚を持つ事が大切であり、難しい事でもある。

対人関係においても、然りであろう。

人を判断する時に、無意識に先入観を持ちがちである。

また、利益やエゴでも左右されてしまう。

しかし、多少の詭弁を労すれば、

人類の歴史は先入観の歴史と言っても過言ではない。

時に、先入観はパワーを生む。

相対的な社会に於いて、

公平さや平等の価値基準を維持するのは至難の業である。



さて、ALSに関しては、どんな先入観があるだろうか。

入院から在宅へという医療体制が強化されつつある今日、

医療行為を在宅で為す事は必須である。

医療行為を避けるヘルパーがいるのは悲しい事である。

ALSは、吸引をしなければ死に至る。

家族で対応するにも限界がある。

医療行為を認めない事業所が、現存するのは先入観が原因である。

早急に是正が望まれる。



ところで鎌倉の長谷寺は、なぜ、バラではいけなかったのであろうか。

あじさいの必然性を調べてみたいものである。