梅雨の季節といえば、あじさいが定番であり、
夏のひまわりと並んで双璧だろう。

雨に打たれて、精彩を放つ花も珍しい。
しかし、あじさいを好きだという人は少ないように思われる。
あじさいの花弁をよく見ると、精密でメカニックな感じさえする。
見ようによっては、グロテスクな気さえする。
鎌倉の長谷寺は、別名あじさい寺としても有名である。
なぜ、あじさいなのかと、素朴な疑問を持つ。

いずれにしても、自然の遺伝子の見事さと不思議さに圧倒されてしまう。
キリスト教のカトリックが、
ダーウィンの進化論を容認したことは記憶に新しい。
万物すべてを神の御業と、あるいは神の産物とするのは、
不自然であり、無理な思想認識である。
やはり、すべての事象に関しては、
ニュートラルなバランス感覚を持つ事が大切であり、難しい事でもある。
対人関係においても、然りであろう。
人を判断する時に、無意識に先入観を持ちがちである。
また、利益やエゴでも左右されてしまう。
しかし、多少の詭弁を労すれば、
人類の歴史は先入観の歴史と言っても過言ではない。
時に、先入観はパワーを生む。
相対的な社会に於いて、
公平さや平等の価値基準を維持するのは至難の業である。

さて、ALSに関しては、どんな先入観があるだろうか。
入院から在宅へという医療体制が強化されつつある今日、
医療行為を在宅で為す事は必須である。
医療行為を避けるヘルパーがいるのは悲しい事である。
ALSは、吸引をしなければ死に至る。
家族で対応するにも限界がある。
医療行為を認めない事業所が、現存するのは先入観が原因である。
早急に是正が望まれる。

ところで鎌倉の長谷寺は、なぜ、バラではいけなかったのであろうか。
あじさいの必然性を調べてみたいものである。

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