2005・07・31


発病から17年経った今でも、病は進行しているという、

いまいましさになんともやり切れぬ気持ちである。

その状況を打破するには、詭弁を弄して咀嚼するか、

強烈な意思で乗り越えるか、そのどちらかしかない。

いずれにしても、病が治る訳ではないので、抜本的な解決にはならない

何かのバランスが崩れたのであろう。

平成6年の10月気管切開直前のくるおしい時期に緊急避難的に洗礼を受けて以来、

神を信じて祈り続けたものの、やはり、疑念と絶望は深まりつつあった。

神に祈ることは、鎮魂の域を出ないことを、認識すべきであろうか。

もちろん、今あることを神に感謝しているのだが・・

今つらつら思うに何事もバランスではないだろうか。

仕事においても、健康においても、恋愛においてもである。

バランスが崩れるとろくなことにならない。

ひとりでいくら頑張っても、バランスはキープできない。

相手がいることだから、やはり、信頼関係と協調であろうか。

私はバランス感覚は悪いほうではないと思っていたが、

こんな病気になるのだからバランス感覚は悪いのであろう。

さて、自分バランス感覚を少しかんがえてみることも、一興だと思うのだが。

ちなみに、私のある友人は、仕事にも健康にも恋愛においても

「無理っ!、無茶ぁ!ギリギリぃ!」が大好きで、バランス感覚が悪いことこの上なし。

危うくて見ていられないが本人は、いたって気にするでもなく、

直す気などさらさらなく、無頓着である。

「ギリギリでないと力がでない」と、涼しい顔である。

こう見ると、バランス感覚は、良いもの悪いものではなく、

本人の性格や環境で、左右されるのではないかと思うのである。

バランス感覚は、十人十色と言っていいのであろう。