『通院始末記』

2008/6/05




およそ、10年ぶりの、大学病院体験であった。

平成9年の胃ろう手術以来の事である。

それ以降は、往診で対応できていた。

10年間は、その必要はなかったという事である。

4月に、左の後頭部に、痺れるような痛さを感じて、

枕もできないような異常な状態であった。

「これは、ただ事ではない」と。今回の通院のきっかけとなった訳である。

ついでに、総合的に診察していただこうという事になった。

9時に受け付けに行く為には、4時半に起床し、8時に出発という段取りとなった。

寝たきりの私にとっては、ハードスケジュールである。

A病院は、全国的に知名度が高く、

平成3年、私が明確に「ALS」と診断された所でもある。

その意味では、いろいろ複雑な、思い出深い病院でもある。

懐かしいというよりも、何か恐いような感覚であり、

その当時の私に出会えそうな気もしていた。

A病院は改装されていて、その当時の面影はなかった。

その時に淡い期待は、消し飛んだように思う。

エントランスロビーは、明るく豪華で、病院のイメージとはほど遠かった。

しかし、外来に入ると、照明も落とされ、落ち着いた雰囲気に様変わりした。

さすがと、思わせるものがあった。

ソフト面での管理もゆき届いているように思えたし、

ハード面も充実しているように思えた。

午前中に、眼科、耳鼻科、午後は、循環器、神経内科、総合診療の予定である。

今回の主な目的は、頭のMRIであったが、

呼吸器を装着していては、無理という事で、CTに変わった。

その事で、何か気が抜けてしまって、一気に疲れがでてしまったようである。

途中3回ほど、診察室のベッドをお借りして、横になり休憩して吸引した。

かなり、ハードなスケジュールである。

先生方は、皆さん若かったように思える。

しかし、それは、私が年をとった事による、

時代感覚の錯覚だという事を、後で気がついた。

私が接触した看護師は、皆さん知的で、好意的で好印象を受けた。

皆さん、ナースキャップをかぶっていない事が不思議に思えた。

他の病院でもそうなんであろうか。

20年間、社会と交渉がなかった事の小さな変化でもあろうか。

こうして、診察が終わり、会計を済ませた時は、もう6時に近かったのである。

薄暗い地下の駐車場から出たら、まだ、日は残っていて、眩しいほどであった。

気分が晴れたようだった。

こうして、様々な刺激を残した、検査通院は終わったのであるが、

付き添いのヘルパーさんの明るい話し声が、

何故か、いつまでも、私の心に残ったのであった。