2006/07/19

先日、私の介護の勤務時間等について、

福祉事務所から当該事業所と担当ヘルパーのひとりが、

「事情聴取」されたが、主旨はどうであれ、

ひとりのヘルパーを召喚するという事に、

大変な憤りと、福祉行政の傲慢な姿勢を感じたのだが・・・。

国の医療体制が、入院から在宅にシフトされつつある今日、

福祉行政の負担は益々大きくなるであろうし、

そのスタンスも重要なウエイトを占めるようになってゆくであろう。

福祉行政に携わるひとりひとりの「個人の品格」によっても、

左右されると言えようか。

規則に患者を合わせるのではなく、

患者に規則を合わせるような臨機応変な柔軟さが求められる。

「誰の何の為の福祉」かという基本理念を、

念頭に福祉行政を行使していただきたいものである。

十分な福祉介護体制が整えば、難病患者でも立派に社会生活を営むことが可能である。

その点、必ずしも十分とは言えないし、その不備も見受けられる。

そこで、私の介護と周辺事情について考えてみた。


1、私の介護とヘルパー確保の困難性

私の介護には、危険が伴うので、私もヘルパーもお互いが納得いく見習が必要である。

平均して40時間の見習いが最低でも必要になる。

面接の段階でその事を聞いて、私の介護を断念する方も多々いる。

その間は見習いの対価を支払われず、無給になる。

見習い時間もさることながら、無給になっていることもネックになっている。

現在、私のところでは、寸志程度の対価をお支払いしているが、

介護保険等の国費で対応しても良いのではないかと思われる。


2、医療行為と事業所

現在、板橋に登録している介護事業所に一割に満たない程度しか、

医療行為を認可していない。

この背景には、医療行為などの医療事故に対して法的な未整備も挙げられるであろう。

行政による指導も行われていないように思われる。

極端な例を挙げれば、爪切りを医療行為としていることは滑稽としか言わざるを得ない。

ヘルパーによる医療行為を見直す必要があるであろう。

ヘルパーの介護範囲も見直す必要があるであろう。

在宅患者が増えている今日、その種の法的な整備は早急になされることが急務である。


3、ヘルパーの吸引行為に関する問題点

矛盾があるものの、ALSに限っては、

ヘルパーによる吸引が、条件つきながら認可されている。

しかし、ヘルパーの吸引行為をいつ、誰が指導するのかは疑問である。

吸引のマニュアルさえも行政からは配布されていない。

吸引をするヘルパーの待遇は改善されていない。

これはあまりにも片手落ちである。

吸引は医療行為の最たるものである。

資格制度などにして、待遇改善などが望まれる。


4、介護保険と自立支援

私の介護保険での要介護度は、当然ながら5であるが、

基本介護は十分に行われていない。

一日に介護保険で受けられる時間は四時間程度である。

それは、月に四回程度の巡回入浴サービスとレンタルベッドの使用料が、

基本介護を圧縮しているからである。

なぜ、巡回入浴とレンタルベッド代が、介護保険の対象になるのであろうか。

障害保険で、あるいは、医療保険で対応できないのであろうか。

介護保険は、純粋に基本介護にあてるべきであろう。

その背景には、介護保険と支援費の待遇の差がある。

国から事業所に支払われる支給額は、介護保険は支援費のおよそ倍である。

同じ介護を同じ人がしていながら、

介護保険と支援費では倍の待遇の差が出てしまうのである。

法的には未整備の矛盾は明らかである。

矛盾の穴埋めは、いつも利用者である我々障害者である。

行政指導者の当事者意識が足りないと言えようか。

当事者意識が足りないのは、福祉行政だけではないが、

行政の矛盾に満ちたシワ寄せを常に浴びている利用者が

いる事を忘れないで欲しいものである。


発病から十八年。

不運にもALSという病に順風満帆の人生の幕を下ろした訳である。

いずれまた、帆を上げる日が来るとは信じてはいないが、希望は捨ててはいない。

「こんな人生もあるんだなー。」という実感が何よりも増して、今の私にはぴたりなのである。

どんな言葉もこの感慨の前には無力である。

私の四十代、五十代は、空白の時代になってしまったが、

私の介護を体験した多くの皆様が、吸引をはじめとして、

そのノウハウを広く伝授して頂き、また新たな患者に施していただけたら光栄に思うのである。

それが高慢ながら私の使命であると認識し、余命を消化してゆきたい。

やがて、神に召される日が来るのであろうが、正々堂々と、ALSと真っ向から戦った人生の軌跡を残したいものである。