「胃ろう手術 私の場合」は、

「ALS 私の場合」の姉妹編とでも言うべき作品である。

このエッセイをALS協会の機関誌に発表する際に、

編集スタッフから「内容がキツイんで一部削除してもらえないか?」と言われた程の

リアルすぎる内容であった。

それ程、ドキュメンタリーの強い作品である。

第三者には、刺激が強く感じられたのであろうか。

当事者の私にとっては、命がけの事であったのだから、仕方のないことではある。

この手術で、私の体には、人工的に二つの孔が開けられたことになる。

いずれの孔も生命に関わる機能を持った孔になるわけである。


「胃ろう手術 私の場合」より抜粋しました。

〜まだ口から食べられないわけではなかった。

首の角度や姿勢を、さまざまに工夫し、何とか食べてきたが、

食事中何度も吸引するようになり、「もうだめだ」と。

食事に二時間近くかかり、食事が苦痛になった。

多少の脚色すれば、時に、涙しながら食べていた、といっても過言ではなかった。

いよいよ選択肢は限定されていったのである。

胃ろう手術の決断がもう少し早ければ、内視鏡での手術が可能だったかもしれない。
が、しかし、ギリギリまで口から食べたいという強い意志を、決してないがしろにするものではない。

気管切開と同様に、失われていく機能に抗うのは当然であろう。

それが「私の場合」なのである。