「ALS、私の場合」は、この本の六篇のうちの、

一番最初に書いたものである。平成八年頃に書き始めたと思う。

キザにいえば、本能が書かせたとも言ってよいであろうか。

症状の進行を危惧して、ALSに対しての私の軌跡と

記録を残しておかなければといった熱い思いが、

焦燥感と一緒になって書かせたものである。

この頃は、左手の中指が動いていたので、

一日に三時間前後、夢中で書いていたと思う。

今はその中指も、ピクッとも動かない。

その当時に酷使したせいかとも思う。

この作品は、ALSの症状の進行を、時系列的に回想して書き、

途中の私の心境をおりまぜてかいたものである。

多少、作品の構成に技巧をこらしてみた。

まったくのドキュメンタリーなので、

今読み直してみても、熱いものがこみあげる。

ALSに対しての私の主観を、本文より抜粋しました。




「私の場合」は、三十九歳の時に下肢から始まり、

約四年で上肢・下肢ともに麻痺し、五年で気管切開に至った。

これはALSの標準的なパターンのようである。

この病気の発症の経緯はさまざまなようであるが、

一様にいえることは気管切開が一つの大きな山になるのではないだろうか、ということだ。

気管切開に直面し、苦悩し、狼狽した。

安楽死に逡巡したりもした。

勿論医師が認めるはずもないのだが。

こんな思いをしたのは私だけだろうか。

逡巡した自分を責めるつもりもないし、後悔もしないが、

今、静かに思う。

「仕方ない事だったのだ」と。

日本ALS協会の松本会長が以前、「ALSは気管切開してからが"本番"」と言われたことがあったが、

それは事実だった。

厳しい山は越えたものの、残された道は決して平坦ではない。

いろいろなことを、いろいろな物を、少しずつ諦め、あるいは切り捨て、耐え・・・

私が洗礼を受けた理由の一つは、

私の今の境遇を容認できうる価値の基準を、

信仰によって見出せないか、ということにあった。

あるクリスチャンから、「あなたは、この病気によって神に選ばれた・・・」と言われたが、

果たしていつになったらこの言葉を受け入れることができるだろうか。

ALSの原因は、個人的には「ストレス」だろうと確信している。

長期にわたるストレスがホルモンの異常分泌をきたし、ある種の中毒症状を誘発させ、

それがなにかのタイミングで神経に作用したのでは、と。

今後ますます進むストレス社会において、

ALSの患者は増える傾向になっていくのではないか。

それも中高年に限らず若年層にまで及ぶのではと、思われる。

一日も早い特効薬の出現が、切に望まれる。

そして、神の御業が叶うなら、

「せめて手だけでも・・・、せめて足だけでも・・・、せめて自発呼吸だけでも・・・」