「胃ろう手術・私の場合」



胃ろう手術は、気管切開から三年後に決断した。

 まだ口から食べられない訳ではなかった。首の角度や姿勢を、さまざまに工夫し、なんとか食べてきたが、食事中何度も吸引するようになり、「もうだめだ」と。食事に二時間近くかかり、食事が苦痛になった。

 多少脚色すれば、時に、涙しながら食べていた、といっても過言ではなかった。

 いよいよ選択肢は限定されていったのである。

 入院先の医師の、

「内視鏡でやりますから、三十分ほどで終わるでしょう」

 の一言が、決断したよりどころだったのだが……。

「鼻から」という選択肢もあったが、周囲の声は圧倒的に胃ろうだった。ケア、メンテナンスが簡便だというのがその根拠だった。入院、手術が煩わしく憂鬱でいやだったが、信頼する訪問看護婦の、さりげない勧めもあって決意した。


 水曜日に入院し、金曜日に手術を行うことが決まった。

 気管切開時ほどの、凄まじい動揺はなかったが、不安は払拭できなかった。はたして内視鏡が入るだろうか、と。

 気持ちの整理がつかぬまま、慌ただしく手術は始った。

 気管切開の時は病室で行われたが、今回は手術室だ。初めての経験だった。前回と明らかに異なることは、病気が進行していることはもとより、なによりも口がきけないことだった。意思伝達ができないことによる不安が、恐怖をあおった。

 ストレッチャーに乗せられ、手術室に申し送りされたときは、さすがに、こみあげてくるものがあった。 「またか」と。


 手術室は明るく、冷たい。

 眼だけ出した看護婦が二人。内視鏡担当医師と熟練を感じさせる外科医師。  仰向けのまま、少し無理な姿勢だ。通常は横臥するのだが……。

 マウスプロテクターを口にはめ込む。なかなか入らない。口が大きく開きにくいからだ。あごが外れそうに痛い。

 二度目で入った。この時、いやな予感はしていた。

 いよいよ内視鏡になり、まさに祈る思いだったが……。

 入らない!

 内視鏡の先が食道の右入り口に当たっているが、強引におし込もうとする。痛く、苦しい。

 抜いて入れなおす。今度はゼリーをたっぷりつけた。

 やはり、同じところに当たる。入らない。不安は的中した。

 医師は、プライドをかけおし込もうとする。鋭利な痛みが走る。もう、無理だからやめてほしい、と思う。嚥下障害により食道が閉塞しているのだろうか。

 みかねた外科医師が、

「やめよう、オペでやろう。変なところに孔を開けたら大変だから」

 と制止した。

「……」

 さらに外科医師は看護婦に、

「病棟のA先生に連絡して!」

 と、主治医を呼ぶように指示した。慌ただしく恐怖のステップが始まった。

「たいへんだったねー」

 まもなく駆けつけた主治医は、手術台の横に来て言った。すでに事の顛末は承知していて、

「おなかを切ってやることに変更になりますが、どうしますか?御家族の方には了解を得ましたが……」

 どうしますか、と聞かれても意思表示の方法がない。予想外の展開に主治医も動揺したのだろうか。

 私は内視鏡による苦痛が残っていることもあって、出直したい気持ちだったのだが……。なによりも、動揺して気持ちの整理、切り替えができていなかった。

 手術はすぐ始った。

 看護婦が簡単に手術の説明をした。

「内視鏡のショック」が尾を引いていて、切開の痛みに過剰反応もあったが、余りの痛さに顔がゆがむ。が、声は出ない、手足は動かない、訴えようがない。なんとも絶望的な気持ちだったが、看護婦がやっと、私の異変に気付き、

「先生!痛いみたいです」

 と。麻酔を追加した。


 手術は小一時間ほどだっただろうか。

 数針の切開だったがダメージは大きかった。内視鏡での手術なら切開や縫合は必要なかったはずだったが。

 直径数ミリ、長さ四十センチのシリコンチューブが腹部につながれた。腹部内には三〜四センチ入っている。

 手術後一週間は点滴、チューブは、胃をリフレッシュさせるためだろうか、たれ流しだった。しばらくは黒緑の液が続いた。

 その後、栄養リキッドの注入が試されたが、それがまたストレートにはいかなかった。

 在宅ですでに口から摂取していたものがあわず、ひどい下痢をおこしてしまったのである。これは予想外のことだった。栄養リキッドのマッチングのために退院が二週間延びることになった。

 三種類のリキッドを試したが、どれもあわず、結局、当初のリキッドを倍にうすめて使用することで見切り発車した。

 九月二十四日に入院し、退院は十一月八日になった。予定は三週間だったので、およそ倍である。

 結果オーライではあったが、思い出したくないシーンである。

 手術後一年余、特にトラブルもなく経過している。

 リキッドは一日に一二五〇CC、単純水を一日に一四〇〇CC、ビタミンC、プルーンを適宜。

 チューブの交換は、二〜三カ月に一回、特に痛みはない。カフがついているのでぬけることはない。通常、チューブを「ボタン」に切り替えるそうだが、私の希望でチューブのままに。

 傷口とチューブの保護を兼ねて、腹巻を半分に切り、ゆるめたものをしている。胃の動きでチューブが腹部に入っていくことがあるので、チューブをテープで固定している。


 胃ろう手術によって「食事すること」は楽になった。苦悩、苦痛もなくなったが、それにもまして失ったものは大きい。

 口から食事ができなくなったことは、十分ストレスになりうる。パニックまではいかないが、ダメージはおおきかった。頭の中は常に食べ物のことが駆け巡っていた。勿論、飢えとは違う。口からの食物カットによる、生理的なリバウンドだ。

「あれが食べたい、これが食べたい……」

 などと。自らの品性を疑うほどきりがない。下半身事情と類似している。「欲」とはそういうものか。

 いまでも多少の差はあれ、食べたい欲求は消えない。料理番組を見ることがささやかな解消になるだろうか。滑稽なほどよく見ている。それは、食欲を刺激して逆効果に思われるかもしれぬが、見て消化するという効用もあるのでは……。もっとも、負け惜しみの詭弁といわれれば、それまでだが。

 いずれにしても、食べることはできないのだから、仕方無いことではある。


 胃ろう手術の決断がもう少し早ければ、内視鏡でも手術が可能だったかもしれない。が、しかし、ギリギリまで口から食べたいという強い意志を、決してないがしろにするものではない。気管切開と同様に、失われていく機能に抗うのは当然であろう。それが「私の場合」なのである。